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ニサ (ポーランド) : ウィキペディア日本語版
ニサ (ポーランド)

ニサポーランド語: Nysa)、あるいはヌィサは、ポーランド南西部、ニサ・クウォツカ川(グラッツァー・ナイセ川)河岸にある町。オポーレ県に属し、人口は47,545人(2006年)。ニサ郡の郡都である。周辺自治体を含めると、60,123人の都市圏を形成している。ドイツ語名はナイセ(Neisse、旧表記 Neiße)。
== 歴史 ==
ニサはシレジア地方の最古の町の一つである。10世紀ころにおそらく町ができたとされ、その後同名の公国の首都となった。ニサ公国としてヴロツワフ司教座の一部となった。1350年以降にできたの町の要塞設備は、1424年フス派から町を守るために使われた。
17世紀三十年戦争の間、3度町は包囲された。第一次シレジア戦争(1740年-1741年オーストリア継承戦争)は、シレジアにおけるオーストリア主権の終わりを告げ、町はプロイセンフリードリヒ2世の手に渡った。彼は町の要塞設備を近代的なものに変えた。1769年8月25日、ナイセはフリードリヒ2世と神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世の会談の場となった。
ナポレオン戦争では、ナイセは1807年フランス帝国に占領された。プロイセン領シュレージエンではプロテスタントが優勢であったが、ナイセはほとんどがカトリック教徒であった。ゴシック様式バロック様式の教会が数多くあるナイセは、かつて『シレジアのローマ』と呼ばれていた。1816年から1911年、町は独立都市となって以後ナイセ地区の首府であった。
第一次世界大戦後、ナイセはヴァイマル共和国の新設されたオーバーシュレージエン(上シレジア)の一部となった。第二次世界大戦では赤軍に占領され、町はポツダム協定に基づきポーランド行政下に置かれ、ポーランド語の地名ニサに変更された。町に住んでいたドイツ人住民は、ドイツ人追放によって町を出て行き、替わってポーランド人が移り住んだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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